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かげろう日誌。

日常生活や感想、LoLをはじめ趣味などについて細々と書いています。

卒業しました

先日私の大学で卒業式が行われました。卒業証書を受け取り、本当に学生生活が終わるということを実感しています。ともあれ、実は単位計算が間違っていて留年した!なんてハプニングは起こらなかったことを喜びたいと思います。

 

式典と存在の必要性と私の悩み

私は卒業式は好きです。普段はその他大勢の一人に過ぎない私が主人公としてその場にいることを許される日だからです。

私は日常において、自分自身の存在理由、存在の必要性のようなものを考えることがあります。そして考えた結果、そんなものは存在しないという結論に行き着きます。「特定の個人がそこにいなくてはならない」というのは、とても限定された状況だと思います。まして技能も経験も乏しい学生ならなおさら起こりにくいでしょう。そこにいるのが当たり前で、疑問を抱くほうが変なのだと理屈では理解しています。単純に私自身が考えすぎなのだと思います。

そんな私だけに、卒業式というイベントは「私(たち)のために準備され、そこにいることを許され、祝福される」という意味でとても安心し、心地よく感じるのだと思います。

原因は青春の思い残し?

これはサービスを享受する側であることがうれしい、と言い換えることもできるでしょう。従って私の感じる不安のようなものは、極端に言えば「かまってもらえなくなって寂しい」なんて子供じみたものに通じる部分があるのだと思います。

確かにそうした指摘はある意味で正しいと感じます。これまで私が周りの大人たちにそうしてもらってきたように、これからは私が次世代の子供たちを支える番が来た、ということです。私が純粋にこの事実を受け止め切れていない理由は、私の子供時代に思い残しが多かったからだと思います。

サービスを供給される側だったときに十分その機会を活かしきれないまま機を逸してしまい、これからは「これまでに受けてきたサービスを次世代につなげる」ことを求められる部分でエラーが生じているのだと思います。

私は小学校~高校生ぐらいまでの間に様々な経験をしてきました。しかしそれらの多くはインターネットに関連したもので、いわゆる青春とは程遠く、年頃の人間が経験するような思い出が薄かったという意味で思い残しがあると考えています。

デジタル・マイノリティ

現代の子供たちはデジタル・ネイティブと呼ばれるように、幼いうちよりインターネットと深いつながりを持つのが自然となっていますが、私のころの周りはそうした人々は少数派だったように思います。私自身は当時の子供たちが年相応に興味を持ち、盛り上がり、思い出を作っていたような物事全般に興味を持たず、関わらない「デジタル・マイノリティ」でした。当時の私は同世代の友人と交流するより、子供でも大人と対等に会話のできる匿名インターネットのほうが刺激的に感じていました。こうして得た知識や経験は私独自の感性を作ることに寄与し、今の私を形作るベースとなりましたし、このことについて満足もしています。しかし代償とした青春の重さについて、このぐらいの年齢になって少し…まぶしく見えているのだと思います。言葉にしてみるとなんとも情けなくて、少し笑ってしまいます。

答えのない問いという自覚

何を言ったところで時間は不可逆ですから、意味のない悩みであることは承知しています。仮に私の言う「充実した経験」を子供時代に過ごしていたとしても、その後また別の悩みを抱えるというのは想像に難くありません。これらの悩みは所詮「ないものねだり」であって、無意味なものです。そもそも、私は私の人生を悪くないと思っているので、この悩みというのはすごく目的の不明なぼんやりとしたものになっているのです。

いずれにせよ仕事が始まり、今日明日を生きることに忙しくなればこんな悩みもどこかに吹き飛んだまま過ごすでしょう。そして気がつけば何年も経過しているのです。人生というのはえてしてそういうものではないかと考えています。

次世代の人々への教訓

さて、卒業にあたり「学生≒サービスの享受側の終了」という人生におけるひとつの大きな転機を迎えたわけですが、私が残す次世代の学生たちへの教訓(?)が3つあります。それは、「(公共の福祉の範囲内で)自分の好きなように生きること」で、具体的にしたいことが不明瞭な人については「自分と同年代の人々と同じような経験を積むこと」です。それと可能であれば「学業成績を高く維持する」ことも大切だと思います。

 

私のような人生は必ずしも満足ばかりではありませんが、私は概ね満足しています。100%の満足なんてものは有り得ないのですから、最大幸福を目指すという意味で自分の責任の取れる範疇で自由に生きるのはとても良いことだと思います。

同年代で流行していることというのは年齢を重ねると経験できなくなる、あるいは経験済みであることを前提に社会が準備されていることが少なくありません(例えばファッション・お化粧など)。ですから特にこだわりがなければ、とりあえず周りに合わせるというのは非常に合理的な選択です。

学業成績については賛否あると思いますが、こちらもこだわりがなければ高いことに越したことはありません。なぜなら学業成績は進学と関連が強く、進学は人生における豊かさにとても強く影響する要因であると思うからです。成績が高ければ様々な可能性が広がります。成績というのは知識・教養であり、これらがあれば進学以外のあらゆるフィールドで効果を発揮するはずです。もちろん全てがそうとは限りませんが、少なくとも学生身分が長くなるというだけでも大きなメリットがあるかと思います。

 

明日には出発の準備を終え、住み慣れた家を離れることになります。しばらくPCのない環境になりますが、ここの更新は何らかの形で継続できればと思います。