かげろう日誌。

日常生活や感想、LoLをはじめ趣味などについて細々と書いています。

誘拐事件について考えます

今年2016年は年明け早々SMAPの解散騒動やら高速バスの事故、ベッキーさんや乙武さんらの不倫騒動、野球賭博、粉飾決済、世界規模でのテロ過激化など連日のように様々な事件が発生しています。

今日は女子学生の誘拐事件が大きく取り上げられており、これについて考えています。(事件の詳細については以下Neverまとめリンクを参照)

matome.naver.jp

 

まず大前提として、子供の誘拐は卑劣な行為であり、到底許されるものではないと思います。容疑者とされる男性はまだ正式に犯人と断定されてはいませんが、名前や経歴等がバンバン公開されています。

各種報道では”オタクが性犯罪に走った”としてセンセーショナルに取り扱われていますが、ネット上では女子学生側にも問題があるのではないか、という声も上がっているようです。これは女性が拘束等がされていない2年間もの間、男性の部屋に滞在し続けていたとする物的証拠や近隣住民の声などを根拠としているようですが、真実のほどは定かではありません。いずれにせよ被害者(加害者も)が第三者の好奇の目に晒されるのはあまり好ましいことではないと私は思います。まして、ただでさえつらい思いをした被害者が更に叩かれるなんていうのはあまりにもひどい仕打ちでしょう。しかし、子供が必ずしも常に善良な被害者であるとは限らないという意味では考えさせられるものがあるとも感じています。

いまどきインターネットには無数の情報が飛び交っています。例えば「2年前に失踪して現在何歳の○○県の学生」なんて情報になれば地元の人間であればすぐにでも気がつくことでしょう。そしてその情報はあっという間に実名となって広がってしまいます。報道では名前が出なかったとしても、結果として同じことになってしまいます。

私は、被害者はもっと情報の目から守られるべきであると考えます。これは報道倫理の問題です。従ってテロ事件などの緊急性を伴う凶悪事件を除いて、私人のトラブルについては憶測で事態を騒ぎ立てないであげてほしいと思います(先日の乙武さんのような公人はまた勝手が違うかと思います)。事件が明らかになっていない段階で騒ぎ立てるのは加害者・被害者どちらにとってもデメリットばかりであるように思うからです。無関係の視聴者はゴシップとして楽しめるかもしれませんが、ネタとなった当事者はいずれも社会的立場を駆逐されてしまいます。そうすると彼らの社会復帰は著しく困難になりますから、結果的に我々の生活を脅かすようになる可能性も否めないのです。ひょっとしたらいつか自分自身がその「当事者」になってしまうかもしれません。

真実を知りたい、興味の集まるような情報を拡散させたい、といった需要・供給と、それに伴ったモラルというのは共存の難しい問題であると思います。しかし私は今回の事件をひとつのゴシップとしてではなく、何か別の視点で考えさせられるような気がしています。

 

また別の機会に、本文中で取り上げた「子供が善良な被害者とは限らない」という問題について記載したいと思います。