かげろう日誌。

日常生活や感想、LoLをはじめ趣味などについて細々と書いています。

震災から自分の生き方を考えます

本日3月11日は東日本大震災のあった日です。私も親が東北出身ということもあり、毎年この時期が来るたびに当時を思い出しつつ色々と考えさせられます。震災から年数が経った今もなお復興は進行中でありますが、全ての方々が再び平穏な暮らしに戻れる日ができるだけ早く訪れることを切に願います。

東北に直接住んでいるわけでない人々にとっては、震災はもう過去のことになりつつあるようで危機感を覚えます。特に太平洋側は今後いくつもの大地震が予想されており、他人事ではありません。しかし、だからといって今の我々に個人レベルで対応できることに限りがあるというのも事実でしょう。独身ならともかく、多くの人々にとって家や仕事を捨ててまで全く新しい土地へ行くというのはハードルが高く、現実的とは言えません。むしろ地震大国の日本ではどこにいても被災のリスクは存在するとも考えられますから海外脱出ということも有り得るでしょうが、世界情勢の不安定な昨今ではこれも万全とは言えないでしょう(結婚等で国籍が取れればよいかもしれません)。わかっていても取れる手段がないのなら、再び大規模災害が発生した場合に同様の悲劇が繰り返されるのではないかと思います。

私は現在愛知~静岡の間に住んでいます。ここは東海地震で大変な被害を被るとされている場所です。もし東海地震が発生したとすればひとたまりもないでしょう。以前も書きましたが、私はまだ自分の家庭を持っておりませんので失うものがさほどないという意味で、地震が来たら死ぬしかないという事実については漠然と覚悟しています(どちらかというと諦観に近いです)。

しかし今後についてはわかりません。例えば子供を持つなど、自身が生存しなければならない積極的な理由ができたとき、私は何を考え何を行うのでしょうか。考えてみても全くイメージできずに思考が止まり、少し息が詰まるような気持ちがします。どうしようもない災害、不運な事故や病気に見舞われて無残に死ぬ可能性が偏在すると考えてしまうと、どうせ失われてしまう今現在の幸福を積み上げることに対しても悲観的になってしまいます(生きたい気持ちでいっぱいの方々もいるのに、本当に申し訳ないですし考えてはいけないようなこととは承知しています)。

毎年震災を振り返り、あの悲劇を忘れないという気持ちも非常に大事でありますが、今後を生きる我々にとって、現実的な視点から具体的な行動を考えるきっかけにしていかなければならないと感じています。それは私の場合、まず積極的な生存理由が見つかってからということになるのかもしれません。