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かげろう日誌。

日常生活や感想、LoLをはじめ趣味などについて細々と書いています。

わたしにとっての参拝・神様

考察 自己分析

前回の記事で、神社に特に祈りを持たない参拝をしたといった旨を書いたので、これについて詳細を述べていきたいと思います。

私は特定の神様(宗教)を信仰していません。もちろん神様の存在を否定はしないので、宗教・宗派に関わらず一定の敬意を払うようにしています。こうした意味で参拝すること、祀られている神様にご挨拶をすることは自然に行えますが、何かを祈るということについては消極的です。

もし自分が神様だったとして、普段私(神様)を全く省みず好きに遊んで暮らしている人々が、気まぐれにやってきて「あれしろこれしろ」などと頼まれてもいい気はしないと思います。実際に人間の倫理が神様にも適用されるかなんてことはわかりませんが、なんとなく神様を都合の良い道具扱いしているようで私が後ろめたい気持ちになるので、どちらかというと私の参拝時は所信表明にとどめたりすることが多くなるのです。

我々は無意識のうちに神様を「人間などに利益をもたらす存在」として認識していますよね。利益をもたらされる「人間」とは「人類」のことなのか、それとも「特定の個人」なのでしょうか。私は神様の手によって特定の個人に幸運をもたらすというのはほとんどないのではないかと考えています。つまり私にとっての神様とは、個人の意思や思想に依存しないで存在する、超自然的なシステムのようなものと捉えています。

また、例えば山の神様なら人間以外の多くの存在にとっても神様ですから、人間だけを特別えこひいきするとは思えません。実際の神様とお話をしたことがないのでわかりませんが、いずれにしても祈ることで願いが叶うというのは望みは薄いように思います。

私は自身の望みは自分自身の言動でもって手に入れるものだと考えています。もちろん、万事を尽くしても偶然によって左右されるものがあるのは事実ですし、こうした偶然の運を神様の手助けと考えるというのも理解できます。しかしそれでも偶然の運を最初からあてにするのではなく、まず自分自身でできることに精一杯取り組むというのが肝要であると思えてなりません。従って私の参拝は自身の決意を固めるために神様の前で誓いを立てる、という目的があるというわけですね。

私の考えは私なりの宗教観だと思いますが、実際の神様事情については「神のみぞ知る」ということでしょう。